若者と大人
兄やんには、小さい頃から今も尚理解できないことがあります。
それは、尊敬を強要する自分より年が上の人たちの存在です。
小さい頃、「大人は偉いんだ」と明確に言われた記憶はありませんが、言われなくとも習慣的にそう感じさせられる生活が続いてきました。
多くの人も、学生時代の部活動や、社会で生活していると、そういう傾向がひしひしと伝わってくると思います。
大人も子供も同じ人間で、大人だからと言って偉い、というわけではないと思います。
若者がすべて兄やんと同じ考え方だ、とは言いませんが、大人たちが自分たちの未熟さを素直に認め、変に偉そうにすることをやめるだけで、大人と若者の関係はかなり改善されると思います。
大人であれ、若者であれ、人に言えない、言いにくいような悩みを抱えながら生きています。
大人の論理で言えば、1人前である大人にだけ、若者に八つ当たりする権利があり、未熟者である若者だけつらいことや悩みの上に、その八つ当たりを受けなくてはいけないのを、
「未熟やからこそ、修行する必要がある」
みたいなことを言いますが、兄やんはその論理で言うならば逆やと思います。
1人前の大人だからこそ、未熟な若者を受け止め、1人前に育て上げる必要があるのではないでしょうか?
とはいっても、実際問題大人も若者もほとんどの人間は、永遠に未熟者なんではないでしょうか?
それを一方的に、若者は未熟者だからと押さえつけにかかり、それでもダメだからと、さらに押さえつけられれば、反撃に転じるか、その場から逃げ出すようになります。
それは、親を殺す子供や、自殺という無言の抵抗であったり、ニートとなって逃げる道に行くんではないか?と兄やんは考えています。
もちろん、押さえつけられても頑張る若者はいます。
しかし、支える人間がどんどん減っていけば、その頑張る若者もいずれは力尽き、どっちかの道に転じてしまうと思います。
昔みたいに、企業が保険などの補填を必ずしもしてくれなくなった理不尽な労働形態で働かされ、昔よりも物価が上がっているのに、それに見合った給料ももらえない若者に、子供が少ないからどんどんどん産め、という割には、産婦人科も減り、犯罪にもなりかねないドクハラを平気でする医者がいて、1人の子供を育てるのにかなりのお金がかかってしまう。
さらに、家の中でゲームをしている子供たちを悪く言う割には、公園などの遊ぶ場所も少なく、下校後、学校でも遊べず、公園でボール遊びしようものなら、やれ「車に当たるから」だの、「家の壁に当たる」だの言って、公園でボール遊びができないために、車が走る道路で子供がボール遊びする始末。
そんな状況を知ってか知らずか、子供や若者が不満をもらすと、話をロクにも聞かずに、「俺たちの若かった頃は・・・」という、無駄に長い思い出話をされてしまうのである。
そんな状況下でも、一生懸命頑張っている子供や若者たちは、大人たちからすれば、それで当たり前、と思っているようですが、兄やんから言わせれば、多くの大人よりもそんな子供や若者たちの方が、よっぽど尊敬に値する、と思う。
兄やんが最近興味を持っている戦国時代からも、教訓を得ることができる。
織田信長は、明智光秀の謀反に合うまで、力で押さえつける政治が日に日にエスカレートしていき、そのために多くの家臣や自分の領外だけでなく、領内からも抵抗勢力ができてしまった。
秀吉以上の出世をとげた光秀も、やりすぎた信長の行いを正そうと忠告したことで用済みとされ、ポイ捨てされたために、信長を討つことでしか信長の行いを正すことができなくなったために謀反を起こした。
注目すべきは、明智光秀が謀反を起こすまでに、有能な家臣を含めたかなりの人数の人間が信長に対して反旗を翻していることです。
今の若者たちの行動も、カタチは違えど、こういった反旗を翻している行動のひとつと読み取る必要があるんではないでしょうか?
